思い出は実る(「工藝風向」高木しらべ様)

 

初めて曲げわっぱを知ったのは、小学生の夏休み、信州の山の中だった。

両親が山好きだったため、物心つく頃から登山に連れて行ってもらっていた。幼くて足がおぼつかない頃は、近場の低山をロープウェイのお世話になりながら登り、小学生になってからは毎年夏に信州・日本アルプスを目指して家族総出で出かけていた。その頃には私も一端の岳人気取りで、夏休み前から登山靴の準備をし、地図をにらみながら登山道のチェックポイントにマークするような生意気な子どもになっていた。

北アルプスを目指したある年、電車とバスを乗り継いで、昼前には登山道まで到着。あらかじめ目星をつけておいた休憩ポイントまで登ってから昼食にしようと意気揚々と出発した。

休憩ポイントの木陰に用意された丸太ベンチには先客があり、大学生くらいのお兄さんが荷物を下ろしていた。単独行らしく、山慣れしているのか装備も無駄のないすっきりしたいでたちだった。

やはり食事をとるらしいお兄さんが背嚢から取り出したのが、丸くて蓋の深い白木のお弁当箱だった。私たち家族は、登山口の売店で買ったサンドイッチを透明プラのランチボックス独特のパリパリという音をさせながら開けていたので、そのそっけない木の容れ物がとても目を引いた。どんなお弁当なんだろうと見ていたら(私には他人が食べているところをじっと見てしまうとんでもない悪癖があるのです)、あんこときなこと青のりのおはぎがみっちりと並んで入っている。それがなんともつややかに魅力的に収まっていて、思わず「わあおいしそう」と声が出ていた。隣にいた母が「曲げわっぱですか、すてきですねえ」と話しかけると、お兄さんは照れくさそうに頭だけ下げ、むしゃむしゃと手掴みであっという間にたいらげて、ラッパのみで水筒から直にごくごく飲み、すぐに荷物を整えて山道に戻って行ってしまった。きっとゆっくり食べたかっただろうに、申し訳ないことをしたと思う。

 

その曲げわっぱが柴田慶信商店のものだったのか、そもそも秋田杉の曲げわっぱだったのかすら実際は分からない。ただ、そのわっぱに入ったおはぎがとてもおいしそうで、静かに広げたそのたたずまいが山の中の木立の色と足元の沢場の水音と苔と土の匂いにふさわしく溶け込んでいたのはたしかだ。蓋をかぶせた時のぱこっというやさしい音もたいへんゆかしく感じた。

それに比べて私の手の中のぺらぺらのプラスチックの似合わないこと。それからは山の景色も目に入らず、頭の中はさっきのわっぱのことばかり。来年はきっと私も曲げわっぱにおはぎを詰めて持ってこようと思いながら、頂上までの道を歩いた。

 

その後いろんな事情が重なり、思いがけずその年が最後の登山になってしまって、曲げわっぱ持参の山行は叶えられなかったのだが、そんな私を見かねた母が、中学入学のお祝いとして弁当箱を買いにデパートに連れて行ってくれた。これからお弁当生活が始まるし、あなた毎朝自分で作るつもりみたいだから、気に入ったのがいいでしょう、あのおはぎのお弁当箱あるかもよ、と言いながら。しかしあろうことか、その時私は結局全く別の弁当箱を選んでしまったのである。いざ真新しいきれいな曲げわっぱを前にすると、果たして自分に使いこなせるのか、不安になって尻込みしてしまったのだ。それからなかなか曲げわっぱとの縁が結べないまま時が経ち、いつか工芸の仕事にたずさわるようになり、ひとり問屋の日野明子さんの紹介を得て、ようやく柴田慶信商店の曲げわっぱにたどりついたわけである。

 

当店での催事で日野さんが出品してくださった柴田慶信商店のお弁当箱を見た時、忘れかけていた夏の日のことを思い出した。あの時の曲げわっぱもきっとこれだったに違いない、今度こそ私も使おう、そう決めた。柴田昌正さんと日野さんの丁寧な説明を聞き、磨き粉と亀の子たわしで洗うことに驚きつつ、木肌が磨かれることで生まれる美しさがあること、白木の杉との付き合い方を教わった。先達はあらまほしきことかな、実際に使うと冷めたご飯がたいへんおいしい。なんてことないおかずがとてもきれいに見える。あの無造作に詰められたおはぎがごちそうに見えたはずだと納得した。それ以来、我が家のお昼ご飯は柴田慶信商店の丸弁当箱が支えてくれている。

 

あの日の夕方、ようやく頂上のヒュッテに着いた時、先に到着していたお兄さんが、外の水場で曲げわっぱをきれいに洗って乾かしていた。今思えば、翌朝は山小屋で配られるおむすびをまた詰めて、次の山を目指したのではないだろうか。身構えすぎない付き合い方が、道具も自分自身もより生かしていくのだろう。あの日から30年以上経って、暮らしの楽しみ方をあらためて教わった気がする。

 

高木 しらべ(たかき しらべ)

兵庫県生まれ。2004年、夫ともに福岡市内に「工藝風向」を開く。以来、店頭で小さな企画催事を続けつつ、自分自身もうつわと道具の楽しみを探す日々。 https://foucault.tumblr.com

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